2人の友をなくした
また、山で友を失った。これで二人目だ。
山をはじめて数年。山の恐ろしさを感じる。
今晩も友を思い、かつて共に登った山の景色を思いだし、在りし日々の彼らの笑顔を肴に、杯をかたむける。
私は登山家ではなく、ハイカーだ。
冬山はもちろん、ロッククライミングも、沢登も、バリエーションルートもやらない。
しかし、それでも山で友をなくした。山は恐ろしい。自然の猛威にたいして人は無力だ。
二人の岳友とはもう二度と会えない。
寂しさと絶望に襲われている。
彼らが好きだった酒を飲む。チューハイとビール。
旨くない。なぜなら、傍らに彼らがいないから。もう二度と彼らと酒を酌み交わすことはない。
友を失った山々
なぜ、彼らは突然いなくなったのか。
1人目は3年前。岩殿山だった。急峻な崖があるものの、安全なルートを選べば危険はない。
登山初心者が好んでいくような山だ。彼もまた登山初心者だった。
あの時、私の運転で彼を山に連れ出そうと決めた。
彼はいつも装備品こそ、父親のお古で高いブランドの高機能な用具を揃えていたが体力や経験値は人並み以下だった。
私は彼の能力を正確に見抜くことができなかった。そして…。
2人目は今年の夏だった。彼とはもう何度も一緒に山に登った。
北アルプスから南アルプス、飛騨の山や木曽まで、アルプスを一緒に遊歩した。
体力経験値ともに彼はずば抜けていた。
山だけでなく、マラソンや水泳、自転車まで、多様なスポーツに興じ、トライアスロンもこなしていた。
脂ののった35歳男性。私などよりも、登山者としてのレベルは高かった。
そんな彼と東北の山に向かう予定を立てたのは、夏前だった。
お盆の時期を狙って、吾妻山や安達太良を登ろうと約束した。
ルートを決め、キャンプ地も決めた。そのときも、私の運転で東北遠征に行くことを、事前に決めていた。
そして、友を喪う
登山前日、私は突然面倒臭くなってしまったのだ。
翌日の早起き。長時間の運転。長時間の歩行。下山後の風呂上がりの渋滞。運転。翌日の会社。
考えただけで、気持ちが萎えた。海の底にいるように気持ちが深く落ち込み、憂鬱さがいや増した。
そして前夜、私は友に連絡した。
「体調が悪いんだ。申し訳ないけれど、明日の山行は中止にしてくれないか」
友からは、一拍置いて、返信が来た。
「了解」
彼らはわかっていたのだろう。私が仮病を使っていたのを。
なぜといって、私が山行をドタキャンするのはそのときがはじめてではなかったから。
3年前に喪った友には過去に3度は同じことをした。
今夏に喪った友には過去に5度は同じことをした。
いい加減、ウンザリしたのだろう。
それはそうだ。せっかくの休日の予定を、前夜のドタキャンでおじゃんにされたのだから。
しかも高確率で仮病だ。
楽しみにしていた予定を、台無しにされた友の気持ちは痛いほどわかる。
同情もする。ひとえに私の不徳の致すところでございます。
そして、彼らとは離縁した。絶交されたといって差し支えなかろう。
嫌われちゃった。
彼らと和解するためには
山は残酷だ。年来の旧友と言って良い友人を喪ったのだ。
彼らとは高校時分からの付き合いだった。もう二度と会えないと考えると、胸の奥が痛む。
今彼らは元気でやっているだろうか。まだ登山はやっているだろうか。
今度、高尾山にでも誘ってみようかしら。
いや、辞めよう。
最近気温が急に下がって、朝早く起きるのが億劫だ。
私も年をとった。誘う前から自分がドタキャンするのを見越して判断できるようになった。
賢くなったものだ。
しかし、寒い。独りだ。
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